浅沼宏和ブログ

2017.08.08更新

第13章 21世紀の社会国家

1. 18世紀以来の富の分配と格差の相当部分は20世紀の両大戦によって一掃された。21世紀に入って富の格差が復活している。

2. 今日のグローバル世襲資本主義を効率と公正さを両立させる形で規制するような政治制度は考えられるだろうか?

3. 理想的な手法は資本に対する世界的な累進課税だ。しかし、世界的な資本課税はまちがいなくユートピア的な理想でしかない。それが無理でも地域や大陸単位での課税は貸すことができる。

4. 2007-2008年に始まった世界金融危機は1929年の大暴落に対比されるが本質的な違いがある。最近の危機は1930年代の大恐慌ほど壮絶な不景気につながっていないということ。

5. 1929-1935年にかけて先進国の生産は4分の1も下落し、失業が増え、第二次大戦がはじまるまで世界は大恐慌から完全には復活しなかった。

6. 近年の危機には大恐慌ではなく「大不況」という名前が与えられている。ヨーロッパでは次々と国家債務危機が浮上したが、不景気のどん底でも最富裕国における生産は5%以上は下がらなかった。

7. 2008年危機が深刻な崩壊を引き起こさなかった主な理由は、富裕国政府や中央銀行が金融システムの崩壊を許さず、銀行破たんの波を避けられるだけの流動性を作りだすことに成功したから。

8. しかし、危機の原因となった構造問題である金融の透明性は嘆かわしいほど欠けたままであるし、格差も上昇している。

9. かつての大恐慌はたしかにひどいものだったが、少なくとも租税政策や政府支出に劇的な変化をもたらしたという点ではよかった。

10. よい経済社会政策は超高所得に対する高い限界税率以上のものを必要とする。21世紀の課題対応に最も適した道具は累進所得税よりはむしろ累進資本課税だ。

11. 国家の影響力は1930年代当時よりはるかに大きくなっており、その点では史上空前の水準になっている。経済への国家介入が高まる可能性は今日ではかつてとは違った問題を引き起こす。

12. 反市場派と反国家派はどちらも部分的には正しい。暴走する金融資本主義に対する統制を取り戻すには新しい道具が必要。同時に現代の社会国家の核心にある税制と政府支出システムは改革と現代化を常に必要としている。それらあまりに複雑化し、理解困難になっており、その社会的・経済的有効性まで犠牲になりかねなくなっている。

13. 富裕国はすべて例外なしに、20世紀の間に国民所得の10%未満が税金になるという近郊から、国民所得の3分の1から半分にまでその数字が上がった新しい均衡に移行した。

14. 「国家の復活」という問題の立て方は誤解。政府の役割はもともと空前の規模にある。国家の役割を理解するには色々な指標の検討が必要。

15. 政府予算の増大という大躍進はすでに起きた。こうした形での第二の大躍進は起こらない。

16. 税収は「社会国家」の構築に使われた。19世紀の政府は「君主的」役割を果たすだけで満足していたが、増大する税収で政府はますます広い社会的機能を引き受けられるようになった。これが今や国民所得の4分の1から3分の1を消費している。その半分は保健医療と教育、もう半分が代替所得(年金・失業保険)と移転支払(家族給付・公的扶助)だ。

17. 代替所得と移転支払の総額の中で圧倒的割合を占めるのは年金。

18. 年金の支払いに比べ、失業保険への支払いはずっと小さい。

19. 現代の所得再分配は金持ちから貧乏人への所得移転を行うものではない。むしろ、おおむね万人にとって平等な公共サービスや代替所得、特に保健医療、教育、年金などの分野の支出を賄うものである。

20. アメリカ革命とフランス革命はどちらも権利の平等を絶対的な原理として認めた。しかし、実際問題としては19世紀を通じてこうした革命から生じた政治体制は主に財産権保護に専念した。

21. 現代の所得再分配は20世紀に富裕国が構築した社会国家に見られるように、いくつかの基本的な社会権に基づいている。教育、保健医療、年金生活についての権利だ。これらは今日、さまざまな限界や課題に直面しているが、歴史的に言えばすさまじい進歩になっている。

22. 一方、社会国家の規模をこれまで以上に増やすのは現実的でも望ましくもない。理由は二つ。

23. 一つは、第二次大戦後の30年で見られた政府の役割の急速な増大は、例外的に急速な経済成長に大きく助けられてきた。所得が毎年5%ずつ増えるなら、その成長の多くの部分が社会支出に振り向けられる。しかし、所得が年1%しか成長しないのならば誰も大規模で持続的な増税など望まない。

24. あらゆる富裕国で国ごとの違いや政権交代にもかかわらず、税収が横ばいだという事実は決して偶然ではない。

25. 二つ目は、公共部門がいったんある規模を超えて成長すると組織上の深刻な問題に直面するということ。

26. 多くの国で、社会国家を巡り、組織、現代化、縮小の問題を扱うことになるだろう。

27. 教育に対する公共支出の主要な目的の一つは社会的モビリティの促進だ。しかし、20世紀を通じた平均教育水準の上昇にもかかわらず、所得格差は減らなかった。職場で求められる学歴水準が上昇し、現在の高卒がかつての小卒並みの意義しか持たない。大卒は高卒と同等だ。

28. 社会的モビリティはヨーロッパより米国の方が低い。米国のエリート大学の学費は極めて高く、高等教育への不平等アクセスの問題が生じている。両親の所得を見れば教育へのアクセスを完全に予測できる。

29. ハーバード大の学生の両親の平均年収は45万ドル。これは米国の所得階層のトップ2%の平均所得に相当する。

30. 米国ほどではないが他国にも類似の状況がある。

31. 高等教育における真の機会平等を実現するお手軽な方法はない。

32. 公的年金制度は通常、ペイゴー方式になっている。現役労働者の賃金から差し引かれた年金拠出金がそのまま退職者たちの年金として支払われている。ペイゴー方式は世代をまたがる連帯の原理に基づいている。また、経済成長率の高さと平均賃金上昇を前提としている。

33. 今日の状況は違う。成長率低下は共有された拠出金プールに対する収益を減らす。21世紀の資本収益率が経済成長率よりずっと高くなることの予想からすると、ペイゴー方式はなるべく早めに積み立て方式に置き換えるべきと結論づけたくなる。

34. しかし、ペイゴー方式を積み立て方式に移行するには根本的な問題がある。退職者のまるごと一世代が全く何も得られなくなるのである。

35. 二つの年金方式を比べるに当たり、資本収益率の変動性は実際にはかなり高いことを念頭に置くべき。あらゆる退職積立金を世界金融市場にすべて投資するのはかなりリスクが高い。平均ではr>gといってもあらゆる個別投資に当てはまるわけではないからだ。

36. もう一つの課題は人口の高齢化だ。

37. 社会国家化について国によっての違いがある。富裕国同士の重要な違いは、西欧諸国では政府歳入は国民所得のほぼ45-50%で安定させたが、米国と日本はほぼ30-35%で止まっているようだ。

38. アフリカや南アジアでは政府歳入は国民所得の10-15%しかない。これでは伝統的な君主的役割以上のたいした機能を国が果たすことはできないようだ。

 

 

 

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

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