浜松地方特有の起業家精神を「やらまいか精神」といいます。地域経済振興、地域活性化の話題では必ず「やらまいか精神を発揮しよう」と決まり文句のように言われたりします。ところで「やらまいか精神」とは何でしょうか。「浜松はやらまいか精神の町といわれているが‥」といいますが、誰が言い出したのでしょうか。
私は浜松生まれですが、「やらまいか」という言葉を「鬼ごっこでもやらまいか」といった軽い勧誘の意味で使っていました。何か大きなことにチャレンジするような意味で「やらまいか」を捉えてはいませんでした。ですから「やらまいか精神」という言葉についていつも不思議に思っていました。
そこで、いったい誰が「やらまいか精神」と言い出したのかを調べてみました。ヤマハの創業者・山葉寅楠氏は和歌山県出身なので違いそうです。地域の有名企業家というと本田宗一郎氏ですが、一人で走りだしそうな方なのでこんな言い方はしないでしょう。ネットで調べても、行政や商工会議所などのパンフレット類を見ても、どこにも語源の説明はありません。「浜松は『やらまいか精神』の町といわれているが‥」とだけしか書かれておらず、誰が言い出したのかを説明していません。長い間、調べてきましたが、やっと答えを探り当てることができました。
実は「やらまいか精神」の歴史は古くありません。最初に言われたのは1980年と意外に最近だったのです。「やらまいか精神」の名付け親は当時の人気経済評論家だった梶原一明氏です。その著書・『浜松商法の発想』(講談社・1980年)に「やらまいか精神」と名づけた理由が書かれています。この本は、世界的企業が数多く誕生した浜松の風土を紹介する内容でした。また、タイトルからして浜松人のプライドをくすぐるものだったので、特に浜松ではたくさん売れたのです。年配の方で読まれた方も多いことでしょう。
ところが梶原氏は地域の人ではありませんので「やらまいか」の意味を誤解していました。本の中では「やらまいか」とは「ともかく『やってしまう』、もしくは『やってしまった』との中間ぐらいの意味」で「現在完了形に近いと説明」しています。ぐずぐず議論するよりもまず実行してしまおうとする精神なのだというのです。「やらまいか精神」とは素早く行動する精神なのだというわけです。
たとえばヤマハでの社長交代や本田技研の東京への本社移転の素早い決定を「やらまいか精神」の表れだとも説明しています。
梶原氏の説明は浜松人からするとおかしく聞こえます。遠州弁の「やらまいか」は「一緒にやろうよ」という軽い勧誘の意味です。思い立ったらすぐ行動というニュアンスを含んではいません。つまり、梶原氏は「やらまいか」という言葉の意味を誤解したまま、浜松の起業家精神とは「やらまいか精神」だと結論付けたわけです。そして、浜松の起業家精神を褒めちぎった本でそのように説明されていたため、浜松の人たちがそのまま受け入れてしまったのです。
ですから「やらまいか精神を発揮しよう」といわれても、浜松人には実はピンと来ていないのだと思います。文字通りの意味としては『一緒にやってみないかい』精神になってしまうからです。また、梶原氏の著書で紹介されている企業の多くは高度経済成長期特有の背景で成長を遂げた企業です。経営環境が激変していますから、当時の考え方で行動することが必ずしも有効であるとは限りません。
新たな時代に発揮する起業家精神には新たな視点・考え方が必要です。いまさら「やらまいか精神」という言葉を変えるわけにはいかないかもしれませんが、それが何を意味するかは改めて考える必要があると思います。
*参考:梶原一明『浜松商法の発想 -ホンダ・ヤマハ・カワイ・スズキの超合理主義』講談社、1980年