日経ビジネス2020年12月21号では企業の謝罪のあり方が特集されていました。
その中に、商船三井、東証のトラブル対応の事例がありました。
商船三井はモーリシャス沖の船舶事故での原油流出問題について、法的責任はない(責任は船主にある)が、社会的責任の観点から対策費10億円を拠出、20人の社員を現地に派遣し、モーリシャス政府から感謝されたという事例です。
東証のケースは、10月に起きたシステムダウンの際、当日中に謝罪会見を行い全面的に責任を認めた姿勢が好意的な反応を呼んだというものでした。実は東証は2005年にも同様の事故を起こしていたのですが、当時の記者会見では「責任はシステムを作ったベンダーにある」と主張して世間の怒りを招いた経験がありました。その反省から会見のあり方を変えたわけです。
記事では、SDGsの時代の謝罪の良い例であるとの締めくくりをしています。要するに法的責任と社会的責任は違うという結論です。
実は、これは古くて新しい問題です。CSR元年と言われた2003年頃にはCSR専門家の間では常識化していた「コンプライアンスとは法令遵守ではなく法令『等』遵守であり、その『等』には社会常識が含まれる」という原則です。
当時、外注先に起因する問題についてナイキは責任はないと主張し大炎上しました(ナイキ・スウェットショップ事件)。
それに対し、ソニーは自社の責任を全面的に認めたことからヨーロッパでの評価を高め、CSRのリーダー企業という評判を勝ち得ました(ソニー・プレイステーション事件)。
下のスライドは14、5年ぐらい前に私がCSRの原則についてプレゼンした際の資料です。
日経ビジネスの記事では、今や古典となったこの二つのケースに触れられていませんが、法的責任と社会的責任の違いを明確に意識することがSDGsの第一歩になることは変わりありません。
現代社会では「評判」のもたらす経済的影響力が大きく、それがリスクマネジメントの中心になります。これを「レピュテーション・リスク」といいます。
レピュテーション・リスクの特徴は、いくら正しいことを行っているつもりでも、それが正しく伝わらなければ経済的に大きなダメージになる恐れがあるということです。
SDGsにはレピュテーション・リスクの一環という側面があり、「世間からはどう見えるか」という視点が重要になります。