仕事柄、 M&Aの相談を受けたり、交渉の場に臨んだりすることが時々あります。10年ほど前のことになりますが、ある企業が新分野への進出を目論み、企業買収を行おうとしていました。超大手ファンドから持ち込まれた案件でした。私はその企業から買収価格に関する助言を求められました。
買収対象の企業は特殊な製品を製造する中堅部品メーカーで、有名企業を中心に数百社と取引を行っていました。買収側企業にとって、多数の顧客とエンジニアを抱えている点が魅力でした。買収側企業の財務部長は、買収価格は26~28 億円が妥当」と考えていました。しかし、私は「上限は16億円、13億円以下で買えればなかなかお得」と意見を述べました。なぜ同じ会社に対する価格評価にこれほど差がついたのでしょうか。
会社の価値を正確に評価する科学的な方法はありません。さらに、会社の価値は買収側の企業の条件・事情によっても変わってきます。A 社にとっては30 億円の価値があってもB社にとっては無価値かもしれないのです。会社の値段は相対的なものなのです。何に着目するか、言い換えればどんな“基準”、“考え方”を採用するかによって大きな差がつきます。
といっても、会社の値段を決める一般的な方法はいくつかあります。一つは、決算書の貸借対照表の純資産の部の金額を元に調整する方法です。二つ目は、過去の売買事例に基づいて「相場」を割り出す方法です。三つ目は、その会社の現在の収益性から逆算してその価値を割り出す方法です。実際にはこうしたやり方をいくつか組み合わせ、個別の事情を斟酌して会社の値段を決めていきます。
しかし、 そうやって割り出した値段が妥当な金額であるとは限りません。せっかく買収した会社を活かせなければ意味がないからです。事例の場合、私は買収される会社と買収しようとする会社が提供する価値が異質である点が問題だと考えました。
買収側の会社には異分野のマネジメントを行う力が乏しく、買収後にさまざまな追加コストが生じると思われました。例えば、28億円で購入した後に追加コストが10億円発生すれば、本体の経営基盤が脅かされるリスクが高まります。買収側の企業にそうしたリスクを負える覚悟はないと考え、「上限16億円」との意見を出させていただきました。
買収対象の企業には中堅エンジニアが多数いる点は魅力でした。また、仮に会社を清算した場合、10億円近い現金が得られると見込まれたので「13億円以下ならリスクは低く、かなりお得」と判断しました。結局、この買収交渉は合意に至りませんでした。
その後、ファンドから何度も再提案がなされたのですが、その都度提示価格は下がっていきました。当初、20億円以上で交渉していたのですが、再提案されるたびに、18億、16億、14億と提示価格が下がっていきました。買収側の企業の経営者は、不信を覚え、再提案には全く応じませんでした。当初から16億円と提示されていれば交渉は成立したような気がします。
数年後、その会社が7億円で買収され、その後、解散・清算されたという話を聞きました。結局、その会社を本当に活かせる会社が現れず、安く買い叩かれて解体されたようでした。