これからの時代では、仕事とプライベートの境界線が崩れてきます。
「24時間働き詰め、働く時代になるのか」とがっかりする人もいるかもしれません。しかし、そうではありません。「仕事=生活のために仕方なくしていること」と捉えるのではなく、仕事自体をゲームのように楽しむことが求められるようになるのです。
そのポイントは「知識労働」にあります。
知識労働とは何でしょうか?肉体労働の反対なのでホワイトカラーの仕事のことをいうと思う方も多いでしょう。しかし、それは違います。知識労働とは、「自分て目的を設定して成果をあげる仕事」のことなのです。
20世紀初頭では、ほとんどの人は肉体労働者でした。ですから、ブルーカラー=肉体労働者、ホワイトカラー=知識労働者という区分が比較的当てはまっていたのです。しかし、現代では事情が違います。機械設備の導入などによって、いわゆるブルーカラーの人たちの比率は大幅に低下しました。その代わり、第三次産業(サービス、小売り、飲食業など)の従事者が爆発的に増えたのです。こうした仕事の多くはやるべきことが事前に決まっています。目的を自分で設定しているわけではありませんから、こうした人たちの多くはかつてのブルーカラーの人たちの仕事と同じ性質を持っているのです。
さらに、ホワイトカラーの仕事の多くも、目的が既に決まっている場合が多いのです。ですから、ホワイトカラーの仕事の多くが「肉体労働」と同じ性質を持っているのです。こうした場合、「マニュアルワーク」という表現を使うとわかりやすくなるかもしれません。このようにみると、本当に知識労働と言えるものは少ないのです。
ある大手自動車メーカーの場合、新型車種を開発するために500人以上のエンジニアが投入されるそうです。しかし、その500人の内、本当の意味での知識労働者はリーダーの1人だけなのです。彼の仕事は「売れる新型車を開発すること」です。設計図を引く前に「売れる」という成果を事前にあげなければならないのです。
例えば、核家族化が進展したので乗車可能人数を減らすかどうかを決めなければならないのです。色、形、エンジン、居住性のこだわりなど、すべては「売れる」という成果をあげるために最終的に決断しなければならないのです。その他の多くのエンジニアは、その方針のもと分担して開発を進めていくのです。ですから、真の知識労働者は500人の内、たった1人ということになるのです。
では、その他の人たちは単なるマニュアルワーカー(肉体労働者)なのでしょうか。それは違います。与えられた目的をこなすように見える仕事の中にも自分で決めるべきものはたくさんあるのです。多くの仕事は知識労働とマニュアルワークが複雑に組み合わさってできているのです。経営学者のP.F.ドラッカーは、知識労働とマニュアルワークの両方を行う人を「テクノロジスト」と名づけました。そして、先進国ではこのテクノロジストが多数派を占めるようになったのです。
テクノロジストの仕事には9時から5時までのように時間割でこなしていく部分がたくさんあります。しかし、新しいアイディアを必要としたり、難しい問題解決が求められるような場合、9時から5時まで頑張るというやり方は適切ではありません。なぜなら、アイディアをいつ思いつくのかがわからないからです。ですから知識労働とは24時間労働という側面があるのです。より質の高い仕事をしようとすればするほど、仕事とプライベートの境界線が消えていくのです。
こうした条件に直面するテクノロジストに「ワークライフ・バランス」という考え方はマッチしません。なぜなら、この言葉には公私の区別をしっかりつけるという前提があるからです。しかし、仕事以外の時間に豊かな解決策が生まれるという知識労働の特質からすると、こうした前提は適切ではないと思います。仕事とプライベートを一体化させ、なおかつ、仕事の成果と達成感、プライベートの充実感を同時に達成するような視点が求められるのです。そこで私が提起するのが「ハイブリッドワークライフ」という考え方なのです。
仕事に対してはゲームを楽しむように、プライベートに関しても積極的な学びと達成感が得られるようにするのです。本人にとっても、今、仕事をしているのか、それとも単に遊んでいるだけなのかが分からないような状態を良しとする考え方がハイブリッドワークライフです。
「そんな不真面目な」と思われる方もいるかもしれません。しかし、新型コロナの流行による在宅ワークの増加によって、私たちはいやおうなしにハイブリッドワークライフに向かうことになるのです。テレワークに象徴されるようにハイブリッドワークライフは仕事とプライベートを区別しません。いずれの時間も充実させ、中長期で仕事の成果を最大化するとともに私生活の充実も追求するのです。