最近、「人的資本経営」という言葉をよく耳にします。人的資本とは、狭く見れば企業に所属する人たちのスキルや専門知識の総体のことです。広く見ればそうした人たちのチームワーク、それを支える企業の仕組みや企業風土なども含めることができます。
1990年代ぐらいから、企業価値には決算書(財務諸表)には現れないものがたくさんあると考えられるようになりました。当時、「マイクロソフトの決算書には創業者のビル・ゲイツの価値が計上されていない」という冗談がよく使われていました。企業の価値を正しく評価するには、決算書には出てこない、ブランド、のれん(営業権)、開発力などの評価が欠かせないと考えられるようになっていたのです。人的資本もその一つというわけです。
しかし、人的資本経営が最近、急に注目されるようになったきっかけがあります。国際標準化機構(いわゆるISO)が 2018年12月に人的資本に関する情報開示のガイドラインISO30414を公表したのです。その後、2020年8月には米国証券取引委員会(SEC)が上場企業に対して求める要求事項に「人的資本の情報開示」を追加し、義務化しました。こうして人的資本を適切に開示することは上場企業にとって義務となったのです。
このような欧米の流れに追随する形で、日本国内では経済産業省が2020年1月から「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」を開催し、2020年9月に経営戦略に連動する人材戦略の必要性を説いた「人材版伊藤レポート」を発表しました。そして、2021年6月には上場企業に適用されるコーポレートガバナンス・コードに「人的資本に関する情報開示」の項目が追加されました。 現在、多くの企業がその対応に追われています。
「伊藤レポート」は、会計学会の大御所・一橋大の伊藤邦雄先生が中心となってまとめられたものです。こうした動きの背後にあるのはESG投資の重要性の高まりです。ESG投資とは、年金基金などの機関投資家が超長期の目線で投資を行う際に、E(environment:環境)、S(social:社会)、G(governance:統治) に着目して意思決定を行 う投資のあり方です。ESG投資は超長期における投資リスクが低いと言われています。こうした動向が企業の考え方、行動を変えたのです。
人的資本のように決算書からは直接読み取れない情報を「非財務情報」といいます。人的資本の開示は非財務情報開示の一種です。最近では自社が気候変動から受ける影響、逆に気候変動に与える影響なども非財務情報として開示が義務付けられるようにな っています。会計の世界では金銭換算しにくいものの重要性が急速に高まっているのです。
人的資本経営では何を行うべきでしょうか?この質問には正解はありません。しかし、社会のさまざまな人がその企業の説明を聞いて「立派な会社だ」と思ってもらうことが大切です。そのためには会社による説明が社会的に妥当なものでなければなりません。
企業経営の場合、自社の戦略と連動させること、理想と現実の差を明らかにし計画すること、組織文化に定着させることが重要とされています。この考え方は人的資本経営に限らず、気候変動への対応等CSRに関連する項目すべてに当てはまります。